島根県立八雲立つ風土記の丘

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そのほか OTHER

意宇川(いうがわ)

現在「意宇川(いうがわ)」と呼ばれているこの川は『出雲国風土記』にも登場し、アユやウグイがいたと書かれている。 また、河口あたりの風景は、中央政府(現在の奈良県)からここへ赴任した役人にも親しまれ、万葉集にも登場している。

岩坂陵墓参考地(いわさかりょうぼ さんこうち)

松江市街から国道432号線を南に進み、神納峠(かんのうとうげ)を超えた右手に陵墓参考地がある。イザナミノミコトの御陵伝承地として1900年(明治33年)に宮内庁管理となった。『風土記抄』(1683年)や『雲陽誌』(1717年)に、この日吉村の神納にイザナミノミコトにちなむ伝承が存在することから、上申されたとみられる。

神名樋野(茶臼山)(かんなびぬ〔ちゃうすやま〕)

『出雲国風土記』には、朝日山、大船山、仏経山、茶臼山の4つが、「かんなび山」として記されている。 神々が籠もる山とされる。標高は171.5mあり、戦国時代には山城としても利用されていた。

客の森(意字の杜推定地)(きゃくのもり〔おうのもりすいていち〕)

意宇という地名は、『出雲国風土記』の国引き神話で、 国引きを終えた八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)が 「おゑ」と言って杖をついたことに起因するという、その杖をついた場所が、意宇の杜と呼ばれている。

大日堂(だいにちどう)

大日堂は六所神社の神宮寺であったと言われ、本尊の大日如来像は鎌倉時代末期の作。 かつて若人達が像に付いた土砂を川で洗い流したところ、みな風邪になり、その後は難を恐れて清掃されることはなくなったと伝わる。

十字街推定地(ちまた すいていち)

『出雲国風土記』に、「(出雲国の幹線道路は)国の東の境より・・・・出雲国庁、意宇郡家の北にある十字街に至り、そこで二つの道に分かれている。 ひとつは正西道(真西に行く道)、もうひとつは枉北道(北に曲がって島根半島・隠岐方面に行く道)である。」とある。十字街推定地は、平野の中央で町境となった十字街である。

日吉の切通し(ひよしのきりどおし)

意宇(いう)川は平野に流れ出る手前の日吉村で大きく迂回し、大雨の度に水害に悩まされていた。周藤弥兵衛(すとうやへい)は、私財を投じて1706年(宝永3年)から1747年(永享4年)まで、41年間で岩山を切り貫いた。以後、村の洪水は減少し収穫も安定した。

眞名井の滝(まないのたき)

今の眞名井神社の東約400mのところにある高さ2.5mの小さな滝。 ここの水は夏でも枯れず、神魂神社の神事の際にも使われていた霊水。滝の西側数10mのところに聖岩(ひじりいわ)という岩が立っており、『出雲国風土記』に登場するもうひとつの末那為(まない)社の候補地となっている。

八幡社(はちまんしゃ)

史跡出雲国府跡の東端の水田の中にある。意宇(おう)の杜(もり)の推定地のひとつである。 また総社である六所神社の元の所在地との説もある。
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